第1話 ほの暗いお風呂に入っていた

コラムの登場人物

風呂文化に興味を覚えたエネオくんは、少し昔のお風呂と暮らしのことが知りたくなり、ユウさんを訪ねた。

エネオくんイメージ

エネオくん:自宅でお風呂に入れたのは嬉しかったんでしょうね。今は当たり前だけど。

ユウさんイメージ

ユウさん:そうだね、寒い冬に銭湯に行って十分に温まっても、家に着くころには身体が冷え切ってしまうこともあったからね。『神田川』の歌詞みたいに髪を洗ってそれが冷たくなるのはいやだったよね。

エネオくんイメージ

エネオくん:ユウさんの家は、初めからガス風呂だったんですか?

ユウさんイメージ

ユウさん:いや、長州風呂※1だったよ。田舎だったから、何でも燃やせる風呂釜は有難かった。でもね、お風呂に入っている途中で湯が冷めて家族に『薪をくべて!』って大声を出して頼んだものだよ。今だったらリモコンのボタン一つで追い焚きできるけどね。湯加減が難しかったな。

エネオくんイメージ

エネオくん:沸かし過ぎたらどうしたんですか?

ユウさんイメージ

ユウさん:バケツに水を入れて洗い場に置いて、それを入れて湯温を下げたり、熱くなり過ぎたら浴湯をバケツでくみ上げておいて、湯が冷めたらその熱い湯を加えたりしたんだ。

エネオくんイメージ

エネオくん:結構大変だったんですね。なかなか想像できない。今のシステムバスは夢のような話ですね。

ユウさんイメージ
昭和の暮らし展示モデルお風呂場写真

ユウさん:昔のお風呂はね。例えば友人の家は、鉄砲風呂※2のような縦長の銅筒の風呂釜でね。そこのおじいさんが、農家で処分に困った木株や丸太をもらってきて、斧で割って薪を作り、それでお風呂を沸かしたんだ。我が家の風呂の修理の時、一度その家のお風呂に入れてもらったよ。友人と一緒に入ったのも楽しかったね。木をくべると、ことこと沸く音がするんだ。木を燃やす時の匂いもしてね。それはそれで良かったね。

ただ、昔の風呂場は薄暗くてね。裸電球ひとつだけ。農家の三和土(たたき)の端のようなところに造ったので、脱衣室はないんだ。水栓だって、後から付けたんだね。暗くて、身体を石けんで洗っても、その洗い残しがあってもよく分からなかった。電灯にカナブン等の虫が飛んできてね。避けるのにきゃあきゃあ言ったよ。

明るい浴室やシャワーの有難さを感じたのは、東京で生活を始めてからだったかな。

昔のお風呂場のほの暗かった思い出話に花が咲き、銭湯に行くときの暗い夜道や、更には薄暗い中で幽霊を見た話、村人がキツネに騙された話に繋がっていって、さすがにエネオくんはいぶかり、これはついていけないと感じた。

写真:杉並区立郷土博物館 昭和の暮らし展示モデルお風呂場 撮影 村田幸隆

※1長州風呂…風呂釜全体が鋳鉄製のお風呂。五右衛門風呂と同じく、底が直接釜になっているため、底板が用いられる。(キッチンバス工業会ウェブサイトより)

※2鉄砲風呂…火を燃やすための鉄または銅製の筒・釜を、風呂桶(浴槽)の中に装置した据え風呂のこと。(北海道開拓の村ウェブサイトより)