たとえば、ステンレスの流し台。 今では当たり前のようにキッチンにありますが、昭和30年代前半まで、多くの家庭の台所では、「ジントギ(*1)」と呼ばれる人造石の研ぎ出しが活躍していました。なぜなら、ステンレスの流し台は一つひとつが手づくりで、非常に高価なものだったからです。 それが工業製品へと変わり、量産化が可能になったのは、1956(昭和31)年に日本住宅公団(現・都市基盤整備公団)が「晴海団地」にステンレスの流し台を採用したのがきっかけです。 当時の日本は戦後復興期の真只中にあり、深刻な住宅不足に直面していました。たくさんの住宅をできるだけ迅速に供給することが政府の至上命題であり、住宅公団により一挙に何万戸もの大規模な集合住宅の建設が進められていました。 その何万戸の住居1つ1つにステンレスの流し台が入る。それは画期的な出来事でしたが、当時の日本には大量に、かつ低価格なステンレス流し台をつくる技術はなかったのです。すでに団地は着工し、時間の余裕がない中、技術陣は寝食を忘れて開発に取り組み、何度も挫折しそうになりながら、ようやく製品化にこぎつけました。(*2) まもなく、複数のメーカーがステンレス流し台の市場に参入し、大量に安価に提供されるようになりました。このころから、ステンレス流し台にかぎらず、公団住宅に入るさまざまな住宅部品の規格化が始まります。団地はどの部屋も同じ間取り、同じ寸法。間口の幅も天井の高さも畳の一辺もみんな同じです。つまり、大量に規格化された部屋が誕生したわけですが、その部屋に収めるさまざまな部品もまた、当然のことながら同じ寸法や仕様で統一される必要がありました。これが住宅部品の規格化への第一歩といってよいでしょう。規格化によりどのメーカーのものも同程度の品質が保証され、消費者も安心して使うことができたのです。 なお、1959(昭和34)年には「公団住宅用規格部品(KJ)協議会」が発足。1961(昭和36)年には銅製炊事用具の規格を決めた日本工業規格(JIS)S1005が制定され、1972年にはKJ流し台、つまり公団の流し台の規格がステンレス流し台全体の規格として採用され、統合されました。 経済復興とともに、メーカーは技術力、開発力を飛躍的に伸ばし、消費者はより豊かな暮らしを求めています。製品は多様化し新製品も開発されるなか、規格化もますます重要なものとなっていきます。(*3) |
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 (*1)初期のジントギ流し
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 (*2)公団に採用された当時の最新型ステンレス流し台
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 (*3)当時の高級ステンレス流し台 |
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 料理講習会 |
 展示会風景 |
 技術スタッフ
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 複動油圧プレス機第1号
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 組立てライン |
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